存在

いるときには存在がないように扱われ

 

いなくなれば存在がある扱い

 

 

どちらも、存在しているのに、見方が違う

 

ただ、起きているだけの事に意味を探し、必死でなっとくしょうとする。

 

私は、最初から存在してない

 

存在しているから、意味を持たそうとする

 

意味を知るではなく体験をするにスウッーと変えられればどんなに、喜びを感じるだろう。

 

やり方、見方はわかっていても、自分の中のエゴがでもね、でもって騒ごうと必死だ。

 

エゴだって、存在している

存在してるから、必死にいるよー!ってアピールしてくる。

 

自分のエゴ、外側のエゴ

 

全て存在していい

無くてもいい

 

ただ、真ん中にいて両側を見ていればいい

どちらかに偏ると、どちらも見れない

 

見れなくなると、欲求だけになる

見れなくなると、どうしてこうなるかばかり見る。

 

両側が見られれば、自分の欲求、どうして?が良いチームワークをしてくれる。

 

真ん中に移動するには、そう簡単にはいかない。

大きな出来事が起きて、諦めて降参してから真ん中にいける。

 

でも、いつも真ん中でいられる事を無意識ではなく、意識していたら、何も怖くなる。

 

そこに行くまでが大変だけど、体験をしながら真ん中に近づいたり、遠ざかったり、それを繰り返していたんじゃないか。

 

もう、相手を責める、自分を責めても起きた事は変わらない。

自分も相手も反対側にいる必要はない。

真ん中にくればいい。

どちらも知れたから、真ん中がある。

 

真ん中にくれば、そこから見える世界はなんて、穏やかなんだろうと気付く。

 

本当は、起きる前に気づければ良かったんだけど、やはりこれも、起きる事での気付きだっただけ。

ただ、起きてるだけ

 

あるないとジャッジを真ん中でするのではなく、ただ、真ん中で見守る。

 

もう、苦しまなくて良い。苦しめなくて良い

嘘もつかなくていい。嘘もつかせなくていい

 

がんじからめにしなくていい

がんじからめにならなくてもいい

 

常にワンセット

 

真ん中でみていれば、ワンセットで起きている事に気付く

 

両方あっていい。

否定しなくていい。

 

自分の内側を押さえ込む事は苦しい

 

もう、苦しまなくて良い

 

よかったね。

自分にも相手にも言える。