改めて
起きている事も、その人その人てま見方が違う事
される側、された側、それをみてる側
その違いを分離させ、許せないと。
違いがどうしても許せないと何回もそね見える景色を手離さないで、覚えておく事
これは、もう手離し、今自分に起きている事を見る事をしないと、どんどん自分がされた事を憎み苦しむ
なんで、私がこんな目にと。
それは、自分が相手にされた事を自分にしている事と同じくらい傷付けてしまう。
やった側が悪いのは充分わかる。
やった側をいつまでも、許せないと自分を苦しめる時間に使う事。
喜びの時間ではないこと。
どんどん、吐き出し、自分と向き合い、癒してあげる事が優先
出てきた自分が、今の自分でを苦しめてがんじからめにしている事に気付くだろう。
なんで、私が?
すぐに、そこに行ける道になっている。
子供の頃にどうしょうもなく、誰も助けてくれない苦しみは今の自分が助け出して、辛かったねと癒してあげる。
自分が持っているその小さな頃の自分を出す
子供は選べないからこそ、今選べる自分がいる。
今、自分が真ん中の目でみて、今起きている事をみる。
自分を苦しめているのは、過去に隠している自分の気持ちがあること。
何かあると、私ばかりなんで?と。
もう、そんな時間を使い、苦しまなくていい事。
喜びを感じていいこと。
許せない自分がいて当たり前の事
違いを違うといつまでも思い、生きるはつらいこと
見方はみんな、無限に違う事。
浮き沈みに入る事はもうやめ、上から見る。
苦しい過去をもう見なくても、今の自分が幸せだという事を感じよう。